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2021/04/30
お出かけ

街の歴史を探る街歩きシリーズ
「鶴ヶ島」

住宅展示場を訪れた後は、その周辺にある史跡を尋ねてみると、いままで知らなかった歴史を発見することができるかも知れません。ちょっとした観光気分も味わえて、意外な発見もあり楽しいものです。いま暮らしている街、これから暮らす予定の街、その街の歴史を知れば街の魅力が高まり、その街や地域への愛着も深まるものです。今回は、鶴ヶ島住宅公園がある鶴ヶ島の街の歴史をご紹介します。

街の歴史を探る街歩きシリーズ<br />
「鶴ヶ島」

鶴ヶ島住宅公園のある鶴ヶ島

鶴ヶ島住宅公園のある鶴ヶ島市は、地図で見れば埼玉県内のちょうど中心部に位置する街です。そもそもこの「鶴ヶ島」という名前が気になりますが、何と!名前が示す通り鶴とは縁のある街なのでした。

 

それは約500年ほど昔の話しです。このあたりは樹木の生い茂る場所で、清水が涌きだし随所に小川が流れる湿地帯でした。所々に深い沼地のある芦が生い茂る場所だったと言いますから、現在の住宅が建ち並ぶ光景からは想像もつかない原野が広がっていたというわけです。

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4年に一度の雨乞い祭り

そんな沼地にある小島の松の木に、鶴が巣を作っていたことから、鶴のいる島、「鶴ヶ島」という地名が付いたと言われています。白い鶴が松の木に舞い降りる光景はさぞかし美しかったことでしょう。

 

鶴ヶ島市の脚折(すねおり)町5丁目にある「雷電池(かんだちがいけ)児童公園」内にある「雷電池」は、そんな当時の水郷の名残をいまに伝える地元の名所となっています。この池では4年に1度だけ、重さ約3トンもある「龍蛇(りゅうだ)」と呼ばれる巨大な龍の人形を担いで市中を練り歩き、「雷電池」で雨乞いを行う、国選択無形民俗文化財と市指定無形文化財に指定されている「脚折雨乞(すねおりあまごい)」という奇祭も行われています。

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戦後、急速に町が発展

江戸時代の頃には、周辺はすっかり墾田され、田畑と木が生い茂る長閑な里山になっていたと言います。それから時が経ち、戦後、日本が高度経済成長の時代になると、周辺の田畑や沼地が次々と埋め立てられ、宅地化が進み商業地として発展し、次第に現在の街としての姿を形作っていったのでした。さらに近年になると、鶴ヶ島住宅公園へのアクセスにも便利な国道407号が鶴ヶ島市を南北に通り、関越自動車道も東西に開通し交通の便が整っていきます。国道沿いにある大正5年(1916年)開業の東武東上線「坂戸駅」近くには、「鶴ヶ島発祥の地」の碑も建っています。

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陸軍の飛行場もあった鶴ヶ島

その坂戸駅近くにある、現在は坂戸市役所や団地、女子栄養大学、筑波大学附属坂戸高等学校、山村国際高等学校などの学校が建ち並ぶ鶴ヶ島市の中心地が、戦前は陸軍航空士官学校の坂戸飛行場跡だったのです。まさに鶴と飛行場、空につながる意外な歴史がシンクロするスポットが、鶴ヶ島には随所にあるのです。

縄文時代の遺跡も

鶴ヶ島には、旧石器時代の遺跡群もあります。代表的な7ヶ所の遺跡を挙げると、「青棚(あおだな)遺跡」「鶴ヶ丘遺跡」「若葉台遺跡」「お寺山遺跡」「鶴ヶ島中西遺跡」「一天狗(いってんぐ)遺跡」そして「雷電池」傍にある「雷電池東遺跡」となります。また、「鶴ヶ丘稲荷神社」の古墳は、古墳マニアの間では、古墳時代末期の古墳としては規模の大きなものとして知られています。興味のある方は是非立ち寄っていただきたい場所です。


まとめ

鶴ヶ島住宅公園のある鶴ヶ島の街の歴史を探れば、見えてくる意外な歴史。これまで住んできた地域の魅力がさらに高まります。また、これから埼玉県で土地探しをする方も、鶴ヶ島を候補地として探してみてはいかがでしょうか。